◎第二百八十五回 源内先生が残してくれた金唐革紙
6月20日(月) 雨のち曇り時々晴れ(香川県)
「良薬は口に苦く、出る杭は打たれる習ひ」
平賀源内先生が残した言葉です。
「良薬は口に苦し」「出る杭は打たれる」ということわざは、源内先生の時代よりずっと昔から伝えられてきた言葉です。
源内先生は、この2つのことわざを組み合わせて使っています。
よほど悔しい思いをされていたんでしょうね。
先見の明を持ちながら認めてもらえなかった悔しさ、悲しさがにじみ出ているように感じます。
源内先生は、子供の頃から知識が深く、機転がきくことで有名でした。
早くに亡くなった父親から家督を受け継ぎ、高松藩の下っ端役人をしていたそうですが、当時の藩主、松平頼恭にその才能を認められ、ずいぶん出世したようです。
記録によれば、博物学好きの頼恭様は源内先生の才能を気に入っていたようで、自分の専属役人のように扱っていたそうです。
出島で外国の文化に触れ、江戸で活躍した経験のある源内先生には、この束縛がとても窮屈に感じられたのでしょうね。
藩内のやっかみにも嫌気がさしていたのか、結局源内先生は高松藩に辞職願を出して江戸に飛び出してしまいました。
高松藩から出た源内先生は、博物学者、戯作者、発明家、画家etc…、その多才ぶりを発揮していたようです。
ただ、安定した収入の道を断たれた源内先生は、オランダの博物書を買ったり、新事業を立ち上げるための金策に明け暮れる日々を過ごされたようです。
鉱山の開拓事業が失敗に終わったころからは、お金に困った人生だったようですね。
収入を得るために家内作業でいろいろなものを開発しました。
その中のひとつが、今回紹介している「金唐革紙」です。
「金唐革紙」のモチーフになった「金唐革」とは、江戸時代初めにオランダから伝えられたクラフトレザーのことです。
オランダ商人が、将軍や大名に献上したおみやげの中にも「金唐革」が含まれていたようです。
源内先生が活躍した江戸中期には、「金唐革」は庶民のレベルにも浸透しており、アクセサリーのようにオシャレ道具として身につけるのが流行っていたそうです。
ここに目をつけたのが、源内先生です。
「日本では革が手に入りにくいから、「金唐革」を紙で作ってみよう」
う〜ん、尋常の人が思いつかないことを考えてしまうんですね。
きょうの写真は、昭和初期に発刊された「平賀源内全集」の表紙です。
”平賀源内記念館”に保管されているものを撮影させていただきました。
表紙のデザインは、源内先生が作った「金唐革紙の文箱」に施されているものです。
文箱は時間の経過でずいぶん傷んでおり、非常にもったいない感じになっています。
しかし、源内先生が残してくれた貴重な「金唐革紙」製品です。
いつか、箱屋としてこの「金唐革紙の文箱」を復元してみたいと思っております。
きょうは源内先生の話題になってしまいました。
次回の”箱屋の試み”、お楽しみに!!
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