ブログ 〜箱屋の試み〜 

◎第八十回 世のため人のため、のアイデアマン

7月30日(金) 晴れのち曇り(香川県)

 

最近、店長の周辺では体調を崩してしまっている人が多いです。

暑さの続く毎日で、体がヘバッっているんでしょう。

店長自身も、体がだるくてタイヘンです、、

 

現在に比べて、エアコンがない、病院もない、食べ物も少ない江戸時代には、飢饉で多くの人が亡くなっていたようです。

当時、オランダや中国からいい薬が入っていたようですが、値段が高くて一般的な人は買えませんでした。

 

ここで源内先生の登場です。

源内さんは、「わざわざ外国から高いお金を出して薬を買わなくても、日本中を探せば、薬の原料は手に入るはずだ」、てなことを思ったんです。

そこで、日本中の識者に声をかけ、薬の材料になるものを江戸に集めて公開しました。

”東都薬品会”と呼ばれる、日本で最初の博覧会です。

この薬品会に展示された品々のうち、効果の高いものをまとめて”物類品隲”という博物誌を出しました。

飢饉で道に倒れていた子供を見つけた源内先生が、薬草を子供の口に含ませて命を助けた、という逸話も残っています。

 

源内先生は、少年時代から草や木を調べるのが好きで、この草は役に立つ、この木は薬になる、など役に立つものを分類していたみたいです。

その知識の高さを認められ、高松藩では薬草園の管理をする仕事を任されていたようです。

 

江戸に向かったのも、江戸の有名な本草家である田村藍水に入門するためでした。

藍水のもとで、源内さんは薬草の勉強を続けたんですね。

 

今週は、香川が生んだ天才奇才、平賀源内先生のいろんな足跡を紹介してきました。

源内先生の生涯はとてもドラマチックで、足跡をたどっていく度に、源内さんの魅力を感じることができます。

 

役に立つこと、立たないことに係らず、新しいもの、珍しいものを世に提供していた源内さんでしたが、当時は世間に受け入れられることが少なかったようです。

「良薬は口に苦し 出る釘は打たれる習い」との先生の名言が、彼の境遇を物語っています。

生まれるのがちょっと早すぎたんでしょうね。

 

とりあえず、今回の源内さんシリーズは今日でおしまいです。

 

来週は、変わった貼箱を作って紹介したいと思います。

 

次回の箱屋の試み、お楽しみに!!

 

 

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